シングルマザーや別居中で片親状態でも父親がいないことを深く考えなくていい理由【実体験で得た結論】

こんにちは!ニコママです。
今回は
・シングルマザーであることに子どもに申し訳なさを感じる
・子どもがかわいそう
・別居中だけど父親いないのかわいそう
・別居中だけど離婚予定で片親になる申し訳なさ
など片親、シングルマザー、別居による【子どもへの申し訳なさ、罪悪感】で押しつぶされそうな方にぜひ読んでいただきたい記事になっています。

なぜかというと、私がこの状態でずっとずっと悩んで、病んで、そこからやっと脱したからです。
どうして脱出できたのか、どういう考え方に至ったのか、結論が出たのかをお話ししたいと思います。

悩んで、罪悪感に押しつぶされそうになっているママの心を少しでも救いたいのです。
私の言葉で少しでも前を向けたら嬉しいなと思います。

私が一番囚われていた

私が罪悪感で悩み、外出した時も他の家の父親を見ては心を傷め、テレビで父親が出てきた時も子どもの表情が気になっていた理由。
それは「私が父親がいないこの子が不幸だ、かわいそうだと思っていたから」
「父親がいれば幸せだと考えていた」から。

父親というものに囚われていたのは子どもではなく、私だった。
父親を欲していたのは子どもではなく、私だったのです。

勝手に父親がいない子はかわいそう、不幸と思い込み、今がつらいのは父親がいないせいで、
父親がいれば家庭はうまくいく、幸せになれると思い込んでいました。

父親がいない子は不幸で、父親がいる子は幸せ。そう思っていました。
だからずっと父親を残そうと私は努力しました。
でも相手が同じ気持ちで接しているわけではないので、そこで歪みが生まれます。
歪みはどんどん大きくなります。
私の旦那は子どものことは好きだけど興味がありませんでした。
好きならいいのでは?と思うでしょう。
違うのです、本当に興味がないのです。
それが行動に出ちゃうのです。
一緒にいる時は遊んであげてて、一見いい父親に見えます。
しかし、それはあくまで上辺。近所でよく遊んでくれる歳の離れたお兄ちゃんレベルです。

ここで書くと長くなるので書きませんが、元旦那の子どもへの興味はずっと持たれぬままでした。
こちらが努力しても埋まらぬ溝。
私の方がどんどん病んでしまいました。

子どもに興味がない、というのはもうその人の問題であって私が努力して改善する話ではなかったのです。
それでも私は後悔がないよう、やれることをやり尽くし、相手にもずっと伝え、お願いしたけど、それでもダメでした。
私の心は病み、もうこの人はダメだと思うところまで努力した結果、もう今後は面会もなしという状態になりました。
私の心も病んだけれど「やることはやったから後悔はない」という状態になりました。

そこで私の中で吹っ切れたものがありました。
父親がいなくてかわいそう、父親がいれば幸せだったかもしれないのに、と父親がいないことで抱いていたマイナスな気持ち、子どもへの罪悪感が消え去りました。

私の中で生まれた結論

【兄弟がいる子を見て一人っ子の子どもが兄弟や姉妹が欲しいな羨ましいなと思うのと同じで、父親がいる家庭を見て父親がいていいなと思うのと同じなだけ罪悪感を感じる必要がない】

という答えが出ました。
父親がいない事で罪悪感も悲しみを感じる必要もないのです。
みんなが同じ家族公正ではありません。
ただうちには父親がいないだけ。

深く考えなくいていい。
というか考えすぎなんです。私たち。
子どものために考えてしまうんですよね。

子どもが欲しかった夫婦もいます。
一人っ子だけど本当は2人子どもが欲しかった人もいるでしょう。
男の子が欲しかったという家庭もあれば女の子が欲しかった家庭もあるでしょう。
おばあちゃんが欲しかった、おじいちゃんが欲しかったという子もいるでしょう。
全ての家が、父親、母親、子ども、子ども達、祖父祖母が当たり前にいないです。
自分の家族にいない人を見ていいなと思うのはごく当たり前の現象です。
夫婦を見て、いいなと思うシングルマザーの私。
いないものを見るのは仕方がないこと。

父親がいなくて罪悪感や後ろめたさ、申し訳なさを子どもに感じる必要は全くないのです。

私に足りなかったのは
【父親がいなくても子どもと楽しもうという前向きな気持ち】

父親がいないことで感じる不幸、いないことで起こる都合の悪いこと、世間の目ばかり気にしていたのです。
父親を作る事は無理なのに、まだそこに食いついていたのです。

もう父親がいないのに、いつまでもそこでぐだぐだ罪悪感を子どもに感じ、後ろめたさを感じて。
そんなこと思わなくていいのです。

離婚した理由は人それぞれです。
離婚したくてやっとできた人も入れば、離婚したくないのに離婚された人もいるでしょう。
それでも子どもがそばにいるならば【我が家は父親がいないだけ!子どもと私という家族を作る!】という気持ちにしていきましょう。

私は父親がいない罪悪感のゾーンを抜け出せました。
子どもが父親を見て悲しそうな顔をしても【一人っ子が2人兄弟を欲しがっているのと同じ】という思考になってからは楽になりました。

父親がいたら守られるのは私の心?

父親がいれば世間体でも守られ、幸せに見える。
父親、母親が両方揃っていれば子どもも寂しくない。
本当にそうだと思っていました。

でも実際は違います。
両方いても、片方の親がどうしようもない人間だったら【いない方がいい】場合もある。
【一緒にいる方が子どもの心を傷つける】場合もあるのです。

私が父親というものに執着し、囚われていて、見えていなかったものが見え始めました。
「父親がいなくて不利なのは子どもではなく私の方」だったのです。
私が不利にならないように父親をなんとか作ろうとしていたのです。
子どものために残そうとしていた気持ちも嘘ではなく本当です。でも子どものためだけだったかというと嘘になります。

私は子どものためと言いつつ、
入園式、入学式、卒園式、卒業式、運動会、イベントの時に1人で参加するのがつらい。
だから旦那(父親)が必要だった。

子どもが父親はどうしていないか聞いてきて悲しい顔をされるのがつらいから父親が必要だった。
その対応を子どもにしたくなかったから。
なぜかというと、子どもが悲しむ顔を見たくなかったから。

でも今の時代はシングルが増え、また仕事の都合で入園式、卒園式、入学式、卒業式、運動会でも出席しない父親も増えています。
それでも両方揃っている人の方が多いのは当たり前です。

覚悟を持て、というのはあまりにも酷なことですが、私たちシングルは不安だろうと、覚悟がなかろうと、罪悪感があろうと、今も明日も子育てをし子どもを守って生きていかねばなりません。
覚悟を持っていなくても時間は過ぎていきます。
覚悟を持てとは言えません。私も覚悟があるかと言ったらないです。
ただ、もう解放しようって思うんです。自分を。
楽しく過ごそう。って。
ただうちは父親がいないだけの家庭で、これが私たち家族の在り方。
どこの家も一緒じゃないです。
とりあえず、子どもをぎゅっと抱きしめてほっぺにチュッてしたら子どもは笑うから、まずはそれでいいと思うの。
子どもが笑ってればいいわけじゃないんだ。ママが笑わないと、子どもは笑えないから。

そんなに深く考えなくていいです。大丈夫。