「離婚できないのは子どものため」
結構多くの親がそう思っているのではないでしょうか?
シングルマザーであり、親も離婚しているニコママです。
今日は、「離婚できない理由」が子どもにある場合の親の気持ちと子どもの気持ちを書いていきます。
実際の経験の私のお話になります。
全ての方がそうではないとは思いますが一般的な考え方とは思います。
親の気持ち
親が離婚をしたくてもしたくてもしない場合、
しない理由は「子どものため」です。
子どもがいなければサクッと離婚できるけれど、子どもがいたらそうはいかないのが現実。
子どもがいても離婚をする人は多いですが、
苦しんでいるのに離婚しない人は子どもが理由である場合が多いです。
その子どもが理由というのは
・金銭面で子どもに不自由させたくない
・父親というものを残してあげたい(言えば世間体が気になるのと、子どもの心の問題)
大体がこの2つです。これは言い切ります。
なぜかというと、私の母も、私も離婚の際にこの2つで悩んだからです。
私の母は離婚をずっとせず我慢してきました。
しかしずっと我慢してきた代償はもちろんあり、それはまた下の方で書きます。
親は子どものために離婚しない、できないのです。
でもそれは子どもを守りたい気持ちです。
離婚することで、寂しい思いや、金銭面で不自由な思いをさせることになるため
踏み切れないお母さんたちはたくさんいます。
なぜ世間体を守りたいかというと昔はそれこそ今より離婚というものに敏感で、
父親は何をしている人なの?とか簡単に聞かれる時代でした。
会社でもお父さんは何している人?何歳?とかよく上司にも聞かれました。
それは兄も同じだったそうです。
父親がいないというだけでそういう目で見られ、母親だけということで甘く見られ下に見られる。
母は子どもにもそういう目がいく、そういう思いをさせるということで父親をどうにか残そうと離婚を選ばなかったそうです。
子どもを守るため!と耐えるのです。
しかしその代償は「苦しむ」が待っています。
離婚したいと思うのは相手に何かしら原因があり、そうなるわけです。
義実家絡み、不倫、DV、モラハラなど色々苦しみを与えてくる原因はあります。
なんとなく嫌いっていう理由では離婚までいかないでしょう。
私の母は、舅、姑からのいじめ、父親の職が長く続かずゲームする日々な上に浮気をしていて、
ずっとそれに耐えていました。
ただ離婚しないことで得られることがありました。
それは金銭面でした。
舅、姑とも同居であり、その2人は持っていました。
なので私たちに習い事などもさせてあげられたと言っていました。
離婚しないことで我慢や苦しみはあるけれど、
離婚しないことで守れるものや、得られるものはあります。
親がどこまでそれを我慢できるか?です。
別にいいわ、とフンと開き直れる人もいれば
血を吐いてしまうほど悩む人もいます。
私は血を吐いた後者です。
母は開き直ったというより「私はここでしか生きられない」と悟って生きてきたそうです。
でも誰でも耐えられることではありません。
親は子どものためと思っています。
が、子どもはどうでしょうか?
子どもの気持ち
子どもは親が自分のためと離婚しないのは気づいています。
無理をしているのもわかります。
私はHSPで声色だけで感情がわかったりするので、特に親の声には敏感でした。
【イライラ、怒り、悲しみ、疲れ】などをよく感じました。
私は小さい時の記憶に母の笑顔はありません。
母の笑っている顔が記憶にないのです。
母の怒っている顔、イライラしている声、怒鳴る声、疲れている声、泣いている姿
その記憶しかありません。
私は子どもながら、空気をすごく読み母がイライラしている時は空気を読み、
したくもないことをした記憶があります。
離婚しないのは、子供達のため。
でも子どもはいつも「どうしてお母さんはあんなに苦しんでいるの?つらそうなの?」と毎日思っています。
私も思っていました。
本当にお母さんが笑っている記憶がないのです。
離婚が成立し、心が回復してきた頃、母も笑い始めました。(私の記憶ではそこからです)
親が我慢することで、今度は子どもの方がちょっと病んできます。
なぜかというと、母親がそういう感じなので頼み事をする時も機嫌のいい時を伺い聞いていたり、
ちょっとでも悪いことをすると雷が落ち、
話しかけるのもタイミングを見計らうようになりました。
我慢し、しんどそうにしている親に気軽に話しかけられなくなってしまうのです。
そうしていくうちに、私はいじめられていることも母に言えず、1人でいじめに耐えました。
母に言うと泣いてしまう、もっと疲れさせてしまう、と。小学校の時です。中学生の時もでした。
子どもはそんな無理をしているお母さんやお父さんに相談や悩み、悲しかったことなど
何も話せなくなります。
それは私だけではなく、兄もそうでした。
だから兄は家に帰るのが嫌だと、外に長くいて、警察に補導されたこともあります。
兄も母や父に話をしない時期がありました。反抗期というより家の中がめちゃくちゃだった時期です。
小さい時はわからなかったけど、大人になった今ならその気持ちがわかります。
子どもは親の「子どものため(お金や父親のこと)」と言う気持ちをわかっていても
全てをわかることはできないので
「どうしてそこまでなってて離婚しないの?そんなお母さんといるのつらいよ!」
という気持ちになってしまいます。
またそれを伝えるとさらに険悪になるので、その言葉は言えずでした。
でも子どもは思っています。
「どうしてそこまで苦しんでいるのに別れないの?」と。
【親の心子知らず】ですが、【子の心も親知らず】です。
子どもの【ため】から子どもの【せい】になる前に
子どもの「ため」がいつの間にか
子どもの「せい」で離婚できないに変わってしまいます。
それはこんなに苦しいのに、簡単に離婚できないことでそう思ってしまうことがあります。
ずっと我慢をすることになります。
その我慢はどこかで爆発します。無意識に発散されることもあります。
それは「言葉」と「手が出る」ということで我慢の発散をしてしまいます。
私の母は両方を私に行いました。
子どもの頃の私はかなり傷つき、いつも怯えていました。
大人になってから舅、姑からもかなりいじめを受けていて、父親は酷かったし、相当つらかったことが理解でき、
あの行動は仕方のないものと思うことができました。
かといって、傷は癒えず、ずっと今でも残っています。仕方ないと理解できても子どもの時の傷は永遠です。
実は私も親になってから、つらい時、うまくいかないときに、自分の子どもに言葉で攻撃をしたりで
母と同じことを繰り返していることに気づきました。
子どもの「ため」が子どもの「せい」になっているのを自分で気づいた瞬間でした。
子どもの「せい」なんて絶対にないのに。
なので、どうか、子どもの「せい」にならないようにしてほしい。
どうか子どもの心に傷を残すことだけはしないようにしてほしいのです。
でも、親の子どもを守るための我慢や闘いはあって。
子どもに離婚をなぜしないか言われてもできない理由がちゃんとあるんですよね。
たくさん話ししてほしい
ただ私はこの経験をしたからこそ思うことがあります。
それは
私も母も「親子になれていなかった」ことです。
お互いのことを話しできず、なぜこういう状況なのか、いつもつらいのか、
お互いが話をすることがないからこそ、意味もなくお互いが傷ついている。
そして親子になれていないから、親子としてのコミュニケーションもなく、歪みができていく。
私と母は20歳になっても親子になっていなかったです。
なぜかというと私が母にどう接していいかわからなかったのと、
母も母で私が母と関わらないようにしていたのも気づいていたからです。
あの時に必要だったのはとにかく話すことだったのでは?と思うのです。
話しちゃいけないことなんてないです。
私の母も「子どもに何がわかるの」「子どもは知らなくていい」とか
そういう思いがあったでしょう。
だから大人になってからあの時はこうだったと言ってきますが、当時の私はいつも傷ついていました。
子どもが知らなくていいこともある、けれど、圧倒的に母と子のコミュニケーションが取れていませんでした。
最初に書いたように、母の笑顔に記憶が一切ないのはそのせいです。
もし、母と私が話をたくさんできていたら。
コミュニケーションが取れていたら。
もっと違ったのかなと、私は思うのです。
なので私はそれを繰り返さないために、自分の子どもが私になんでも話せるように
親子という関係を作りたいと思うのです。
苦しかったこと、悲しかったこと、もしいじめに遭っていても隠さず吐き出せるような、そんな親子関係を私は私の子どもと作りたいのです。
離婚をできないのは子どもを守るため。
立派です、とても素敵です。
でも我慢しすぎないで。
そのせいで子どもを邪険に扱ったら意味がありません。
そして子どもとたくさんお話ししてください。
たくさんたくさんお話ししてください。
もうこれしか言えないのが申し訳ないのですが、
「今日学校でどんなことした?」の会話も私はしたことがありません。
学校に行っていた期間は12年あったはずなのに、一切記憶がありません。
ずっと母の顔色をうかがっていた記憶しかありません。
(母は別居からの離婚で、その離婚も裁判で揉めたのでスッと離婚ができませんでした。そのため別居しててもつらいままでした)
でも、本当に苦しい時は、離婚を選択してください。
お願いします。
頑張っているあなたが壊れる前に。
あなただって守られる立場です。子どもを守る立場ではありますがあなたも守られる立場。
あなたの心が実は最優先です。
我慢の中で、【逃げられる時間】があったらいいなと思います。
私の母は同居で全ての時間を舅、姑に見張られていました。
自由な時間など一切なく今思っても本当に苦しい中で母は生きてきたと思うし、
考えただけでつらいので思い出したくもないです。
その逃げられる時間というのが好きなことに没頭する時間です。
そんな時間が少しでもあれば救われますが、そんな好きなことをできないくらい疲れていたり、気持ちが弱っていることも多いでしょう。
そういう時こそ、誰かと話すというのは効果的ですが、話す相手を間違えるとさらに傷ついてしまいます。
生きるとは本当に大変で苦しくつらいですね。
母は、ミセスグリーンアップルの【ビターバカンス】という曲にとても共感したそうです。
「守るために闘う毎日」という歌詞で、
「あ〜本当こうなんだよね」と言っていました。
子どものために頑張る親は、まさに【(子どもを)守るために闘う毎日】なんですよね。
でもね。
お母さんが笑えば子どもはそれだけで幸せです。byニコママの経験談